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7人制ラグビー日本代表候補 トロケ・マイケル選手:インタビューvol.2「トンガと日本の狭間で:代表国の選択」

多種多様な競技で活躍する外国人選手。グローバル化が進展する近年、各競技において、日の丸を背負う、海外生まれの日系人や帰化選手が増えています。一定の条件を満たせば、国籍を持たない国や地域の代表になれるラグビーは、特に外国人選手が多い競技と言えるでしょう。しかし、この現象を不思議に思う人も少なくありません。そこで、日本国籍を持つ「外国人」、東京オリンピック7人制日本代表候補のトロケ マイケル選手に、外国人選手の存在意義と、自らの日本への想いを語って頂きました。

今回は、全3回にわたるインタビューの2回目となります。

1990年5月15日生まれ ニュージーランド・オークランド市出身 身長182cm/体重102kg 代表歴:7人制トンガ代表、トンガA代表(※ラグビーでは準フル代表)、7人制日本代表
トンガ代表として活躍した父ソロモナ・ヴァーア・トロケが日本のチームでプレーしたことから、小学1年生から中学1年生までの期間を、千葉県浦安市(5年間)と岩手県釜石市(2年間)で過ごす。その後、トンガとニュージーランドでの生活を経て日本大学に進学、4年時には副将を務めた。卒業後は日本に残り、釜石シーウェイブスで活躍。その後移籍し、現在はNTTコミュニケーションズシャイニングアークスに所属。2016年に日本国籍を取得、2019年から7人制日本代表。

トンガ代表か日本代表か…葛藤。

――トンガ代表の経歴もお持ちですね。

20歳以下代表、7人制、それとA代表(※ラグビーでは準フル代表)になっています。7人制では、トンガ代表として結構出場しています。ニュージーランドの高校を卒業して、そのままトンガ代表になった感じで、オーストラリアのアデレードの大会や香港セブンズに参加しました。ちょうど10年前、19歳の時です。香港セブンズ(※世界で最も盛大に行われる7人制大会)には、2回は行っていると思います。日大にいた2013年には、ロシアで開催された7人制ワールドカップにも出場しました。

――通常、一度どこかの国の代表になると、その他の国の代表になることができません。オリンピックの特例措置により、日本代表に選出されました。もしその特例措置なかったら、今どうなっていたと思いますか?

うーん、どうでしょう……。その時は若かったので、日本代表で出られない、じゃあそれは仕方がない、正直そう思っていました。もし、そのトンガ代表歴がなかったら、多分そのまま日本代表で出ていたと思います。でも、トンガ代表で「出ちゃってた」、という感じでしたね、当時は。だから、2015年のワールドカップにも、本当にトンガ代表で行こうか……凄く悩みました。でも、やっぱり日本でプレーしたいという気持ちが強くて、結局は参加せず、国内に残り、釜石でシーズンを過ごすことに決めました。

――ということは、トンガの15人制代表からも、声がかかっていたんですね。

かかっていました。15人制だけでなく、7人制代表の召集も、無視し続けていました(笑)。去年もずっと召集されていたのですが、香港で会った時、僕がジャパンのメンバーになっているので、ビックリされましたね(笑)。現在の7人制トンガ代表のコーチは、僕がトンガの代表だった頃のマネージャーさんでしたからね、仲良いです(笑)。

――大学卒業の直前、トップリーグの規約が変更されて、日本国籍を取得しても、他国の代表歴がある選手は外国人扱いとなり、その影響で、決まっていた内定が取り消しになったそうですね。そんなことがあったり、なかなか日本代表になれなかったり、ご自身にトンガ代表の経歴があることを、どういう風に消化しましたか?

正直、なかったら、多分もっと早く、日本代表にデビューは出来ていたかなと、強く思います。多分もっといい形に、第二のマイケルのような存在になれていたかなという気持ちもあります(※15人制日本代表キャプテンのリーチもマイケル)。ですが、トンガ代表として出場したことについて何度も考えましたが、悔いはないです。

――結果的に、両方の代表になりました。貴重な事例だと思います。

そうかもしれませんが、日本でプレーするにあたっては理想的ではないです、絶対に。

――ニュージーランドの高校を卒業する頃、どの国の代表を選ぶか考えていたのでしょうか?

いや、その時は、日本に来るっていう考えがなかったので。もし日本に来ると事前に知っていたら、多分トンガ代表では出ていないです。高校を卒業した頃、日本には帰りたいと思っていましたが、28歳か29歳位でと考えていました。トンガ代表として2011年のワールドカップを目指していましたが、選出されず、どうしようかとなった時に出てきた選択肢が、日大への進学でした。行く先がなかったので、救われていましたね。既にトンガ代表歴を持っていたものの、当時は国籍を変えれば国内リーグで外国人扱いにはならず、日本人として出場できたので、あれだったんですけれど。トンガ代表になる前に、日本でプレーするという可能性を知っていたら、当然日本代表を選んでいたと思います。

――子供の頃に住んでいた日本ですが、高校卒業当時は日本代表というプランをお持ちではなかったのですね。

全然なかったです。しかも19、20歳の頃ですから(笑)。何も知らない、知っているつもりで何も知らなかった(笑)。その時は、ワールドカップが目標で、もう必死でした。当然、後々結構苦しんだんですけれど、でも、それがあったから釜石に行けたというのもあります。釜石は、父さんが以前プレーした土地です。今、NTTコミュニケーションズに所属していますが、今住んでいるのは、父さんがクボタでプレーしていた時に通っていた小学校から100mの距離です。それもそれで運命なのかなと思います。当然、もっといいシナリオはあったと思いますけど、まあ、これも神様の意思じゃないかなって。

――そんな縁のあるNTTコミュニケーションズに移籍した2018年、当時の気持ち、目標を、「越」という漢字で表していました。今は、どうでしょう?

その時は1文字でしたが、2文字だったら「進化」ですね。英語にするなら“Evolve”です。「進化」というのは、現状において自分がすべき事に対し、それに当てはまる事、ゴールにすべき事だと僕は思っています。今の自分に満足せず、日々少しずつ、オンフィールドとオフフィールドと関係無く必要な事、細かい事でもコツコツと努力を重ねていく事、そうした意味を兼ねての進化だと僕は思っています。

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