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元ラグビー日本代表最多出場 大野均インタビューvol.2 日本ラグビーの変革:145失点からW杯ベスト8へ

過去において、ラグビーは「身体の小さな日本人には向かない競技」という意見が、根強く存在していました。しかし、近年、ラグビー日本代表は、世間のそうした偏見を覆す躍進を遂げています。W杯2015年大会で世界屈指の強豪南アフリカから「史上最大の番狂わせ」と評される劇的勝利を挙げるなど、日本代表の中心メンバーとして活躍した大野均さんに、歴史を変え、新たに創り上げた軌跡について、お尋ねしました。

今回は、全3回にわたるインタビューの2回目となります。

1978年5月6日生まれ 福島県郡山市出身 身長192cm/体重105kg(現役時)

日本大学入学後にラグビーを始める。関東大学リーグ戦所属のいわゆる「日大ラグビー部」とは異なる、東北学生リーグ所属の工学部ラグビー部。全国的には無名の異色の経歴ながら、逸材を見込まれ2001年に東芝入社、2004年に日本代表初選出。以後、「ラグビーW杯史上最大の番狂わせ」と評される南アフリカ戦など、日本代表史上最多の98試合に出場。2020年5月、東芝での19年に及ぶ現役選手生活からの引退を発表した。酒を愛し、物腰柔らかく丁寧にファンと接することでも有名。現役時代の座右の銘は「灰になってもまだ燃える」。

ーー大野さんが東芝に入社した2001年当時は、1995年のW杯で日本代表がNZを相手に145失点の大敗を喫し、日本でのラグビー人気が低迷していた時代です。

高校生だった1995年当時、145失点のことは知りませんでした。大学に入り、ラグビーを初めてから、そのことを知りました。いつ頃に知ったのかは覚えていませんが、ラグビーの日本代表は強くないのだという認識は、どこかにありました。初めてW杯を見たのは、1999年のウェールズ大会です。

ーー“145”は、日本のラグビー関係者のトラウマでした。日本代表が2015年W杯で南アフリカを破り、20年間の鬱積が吹き飛びました。145の汚名を晴らすという役割は、意識していましたか?

ラグビーを始めた頃は、自分が代表を強くしようとか、145点の汚名を晴らそうと考えたことは、ありませんでした。当時スターだった箕内(拓郎)さん、大畑(大介)さん、(伊藤)剛臣さん、そうした人たちと同じ土俵で試合できるなんて、まして日本代表で一緒に試合できるなんて思ってもいませんでした。日本代表になった当時は、その人達と一緒の空間にいることがただただ嬉しかったのと、緊張していたのと、その2つの気持ちがあったことを覚えています。

ーー個人的な喜びを経て、ジャパンの一員としての責任が徐々に芽生えてくる、そうした変化が、どこかであったのではないかと思います。

そうですね。2004年の夏、ロシア、アメリカ、カナダ、日本が参加したスーパーパワーズカップという大会があり、優勝しました。その年の秋にヨーロッパ遠征に出たのですが、前年のW杯で、当時の日本代表がスコットランドを相手に良い試合をしていたこともあり、自分達もどこかで通用するのではないかという安心感がありました。

ところが、第1戦でスコットランドを相手に、あれだけの点差で負けてしまって(8対100)。

その試合、自分は前半で交代させられています。だから、それが不甲斐なくて、ダメな試合にしてしまったのは、自分のせいなのではないかと感じたりもしました。そこで初めて日本代表としての悔しさを味わいました。その遠征最後にウェールズにも惨敗しました(0対98)。次の年になってまた日本代表に呼んでもらった時、もうああいう思いはしたくない、そういう気持ちを持って合宿に行ったのを覚えています。

ーー日本人は小さいから世界に勝てないという意見もありました。それが2015年W杯の南アフリカ戦勝利や昨年のW杯ベスト8進出で、かなり払拭されたと思います。代表に対するある種の偏見や、世間からの評価の変化などを、現役時代に感じることはありましたか?

日本人が弱いという価値観ですよね。日本代表に入る前、東芝ラグビー部の先輩の秋山公二さんに、「ラグビーが日本で大人気スポーツになる方法を知っているか?」と言われて、「何ですかね?」と返したら、「ジャパンが勝てばいいんだよ」と言われたことがありました。2015年のW杯で南アフリカに勝って、一大会で3勝して、世の中がああいう状況になって本当に秋山さんのシンプルな一言の通りになったなと思いました。2007年、2011年のW杯の時は、帰国したらみんなに「お疲れ様」と言われたのですが、2015年の時は「ありがとう」と言ってもらえました。

日本人がラグビーで世界の強豪に勝てるわけがないと誰もが思っていたわけですが、そんな常識をひっくり返した時の感動は、人に感謝の気持ちを芽生えさせるんだと、漠然と感じたのを覚えていますね。

ーー日本代表として、その価値観を変える中枢にいたわけですが、当時の達成感を教えて下さい。

エディー・ジャパン(エディー・ジョーンズ監督時代の2012~2015年)の練習が、本当にキツく、世界一の練習量と言われていました。自分としては、その前の2011年までも、自分達の中では100%やり切って準備して臨んだW杯でしたが、勝てませんでした。だったら、さらにこのくらいのことをやらないと勝てないのではないかというのが自分の中にもあったので、時には理不尽なぐらい厳しい練習を耐え抜いて、それこそ手を骨折しても練習したりもしていました。

それだけやり切ったからこそ思うのですが、 2011年までのジャパンというのは、何か武器というか、自信がなかったんですね。

でも2015年のジャパンはとりあえず自分達は世界で一番練習したという自負だけは持ってW杯に臨みました。それが南アフリカだったり、サモアだったり、ああいう相手に対して、気持ち的にひけを取らない状態で試合に臨めました。その土台を作ったというのは大きいかと思います。

ーー今、「自信」という言葉が出てきました。勝てると信じられるようになったのは、いつ頃ですか?

南アフリカに勝ってからですね。試合前は、まさか南アフリカに勝つなんて思ってもいませんでした。合宿の時に、“Beat the Boks”「南アフリカを倒す」(※Boksは南アフリカ代表の愛称Springboksの短縮形)という練習メニューがあって、確かにエディーさんはビートザボクスと言っているけれども、南アフリカを倒すつもりでやれ、そのくらいの気持ちでやれということなのかな、くらいに思っていました。

ーーそれだけ練習しても、あの試合の途中まで、半信半疑の部分があったのですね。

本当に南アフリカを倒せるとは、自分は最後のカーン・ヘスケスの逆転トライまで思っていなかったです。でも、試合が進む中で、自分達のアタックやディフェンスが南アフリカに通用している手ごたえは感じていました。そして、南アフリカが少しずつ焦ってきていることも。あそこで勝ったことによって、自分達を信じることができた、自分達がやってきたことが間違えではないと胸を張ることができました。

南アフリカ戦勝利の直後、日本代表の先輩の(伊藤)剛臣さんから、メールをいただきました。そこには、「145点の記憶を変えてくれて、ありがとう」とありました。それを見た時に、自分たちは本当に歴史を創ることができたんだと、嬉しさを一人噛みしめました。

画像提供/プレー写真:志賀由佳、スーツ写真:東芝ブレイブルーパス
To Be Continued…(vol.3は10/3(土)投稿予定)

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