MENU

INTERVIEW

Jun.25.2019
番組でなく話題を作るディレクター
NHKを出て気づいた、ニュースを作る価値

NHKでは、“番組を作らないディレクター”として、誰でも“プロフェッショナル”になれるアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」をはじめ、カンヌライオンズ2019のデザイン部門で、みごと銀賞に輝いた「注文をまちがえる料理店」など、たくさんのヒット企画を生み出してきた小国士朗さん。そんな小国さんに、これまでの経験で培われた考え方や、仕事で大切にしていること、そして数あるヒット企画の制作秘話について聞きました。

PROFILE
小国 士朗 (おぐに しろう)
株式会社小国士朗事務所 代表取締役・プロデューサー

2003年、NHKに入局。ドキュメンタリー番組を制作するかたわら、200万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の企画立案や世界1億再生を突破した動画を含む、SNS向けの動画配信サービス「NHK1.5チャンネル」の編集長の他、個人的プロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」などをてがける。2018年6月にNHKを退局、フリーランスのプロデューサーとして活動。

本気で振り切る。死と直面して見えたこと

――“番組を作らないディレクター”としてNHKで活躍していた小国さんですが、“番組を作るディレクター”時代は、どんなことをしていましたか?

2003年にディレクター職でNHKに就職して、最初の5年半は地方局配属で山形にいました。地方局では、ニュースのレポートから、ドキュメンタリー、高校野球、『おかあさんといっしょ』まで、なんでもやります。その中で、ドキュメンタリーをもっと作りたいと思い、2008年に『クローズアップ現代』、『NHKスペシャル』、『プロフェッショナル 仕事の流儀』など、いわゆる情報系のドキュメンタリーを制作する東京の部署に入りました。そこでずっと番組を制作していましたが、2013年に心臓病を患い、番組を作れなくなりました。

――命に係わる病気を経験したことで、自身の中で変化はありましたか?

33歳の時に、「人ってあっけなく死ぬこともあるんだな」と強く思ったんです。だから、もったいないなと。本気で自分のやりたいことだけをしなきゃ人生は終わっちゃうから、本気で振り切ろうと決めました。ディレクターができなくなったときは悩みましたが、そこからは脳みそが開いたみたいに、パーンと突き抜けました。僕は、番組の価値や情報を伝える人間になろうと思いました。そう思っていたときに電通との交換留学の話がでて、手を挙げました。

情報を届ける側から、ニュースを作る側へ

――9ヶ月間の大手広告代理店である電通との交換留学の経験を通して、小国さんの中での気づきや発見はありましたか?

PR局に配属されたのですが、NHKには広告がないこともあり、入ったときはPRと広告の違いもわかりませんでした。その中で、数多くの様々な事例に触れ「こんなクリエイティブな情報発信の方法があるんだ」と、すごく面白かったです。

でも、一番大きかったのは、初めて外から自分の組織を見られたことです。それまで僕は、NHKは好きだけど、イケてないと思っていました。友達にNHKで働いていると言うのがちょっと恥ずかしい、みたいなところもありました。しかし外に出たことで、NHKはすごい会社だということに気付かされました。
受信料という制度のおかげで、何千億円というお金に支えられているし、赤ちゃんからお年寄りまでみんなが知っているし、広告主がいないので、自由に番組が制作できます。そして、公共放送というのが最大の価値だと思っていて、営利を目的としない放送を行うNHKだったら、ということでいろいろな人と利害関係なく手をつなぐことができます。交換留学を通し、客観的に外から見ることで、こんなに贅沢なところにいたのかと感じました。

――PRの学びを活かして、NHKに戻ってどんなことをやりたいと思いましたか?

交換留学先の電通では、クリエイティブを活用した情報発信について学べたので、それをNHKでやりたいと思っていました。でも、元の部署に戻れば、これまで通りの番組作りに携わる可能性のほうが高いんです。それでは、せっかく留学に行った意味がなくなってしまいます。
だから、電通にいる間にNHKの仕事をしようと思いました。成果が出れば「あ、こういうやり方もありだな」と認めてもらい、NHKに戻ってからも、やりたいことをやらせてもらえるのではと、考えていました。変な話ですが、電通社員としてNHKに「何かお困りのことありませんか~」と営業をして、効果のあったものなかったものを含めて、20~30の施策をOJTとして経験させてもらいました。

――効果があったものはどんなものでしたか?

くだらないんだけど(笑)、北島三郎さんがでる番組のPRをしてほしいという依頼がきて、36パターンの番宣を作りました。北島三郎だから、36(さぶろー)パターンという、ただのダジャレですね。その番組は、北島さんが最後に紅白歌合戦に出演された、4ヶ月後に放送されるもので、その時点で、北島さんのニュースはたくさん出回っていて、何かを起こさなければ埋もれてしまう状況でした。それであれば、ニュースを作ろうと思い、北島さんの36パターンの番宣を深夜帯に18分間ひたすら流すことにしました。“三郎ジャック”ですね(笑)。それがあまりにも馬鹿馬鹿しいので、80媒体が面白がって、取り上げてくれたんです。それに、編成局も面白がって、2夜連続放送になりました。しかも、実際に北島さんが出演しているのは36個中8個だけで、それ以外は、北島さんを感じさせる映像だったんです。

その経験から、ニュースにならないと勝手に自分で決めつけるのは、よくないのだと実感しました。ニュースをクリエイションすればいいのだとわかったんです。ニュースを作って話題にすると、それがPRになるわけです。話題をどう作るかが面白いと思いました。

大ホームランを狙った「プロフェッショナル 私の流儀」

――そういった実績を持って、NHKに戻ってから生まれた「プロフェッショナル 私の流儀」というアプリの制作秘話を教えてください。

NHK に戻ったあと、デスクをやりながら新しいことをやらせてもらう環境を作ってもらいました。その時に、誰もが納得する大ホームランになるものを作ろうと思って取り組んだのが、スマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」です。10周年になる『プロフェッショナル 仕事の流儀』の記念プロジェクトでした。

実は以前に、一番身近なプロである、お父さん、お母さんの流儀を、子どもが取材して投稿してもらう「プロフェッショナル パパママの流儀」という企画を提案していました。当時は実現できなかったけど、時を経て、ここだと思いました。ちょうど他のプロジェクトで動画ジェネレートが上手な会社と知り合い、その技術を使えると思ったんです。それで、誰でも“プロフェッショナル”になれるアプリを会社に提案しました。最初は大反対でしたが、結果的に通りました。

アプリを作る前に、Wikipediaで「プロフェッショナル 仕事の流儀」と検索すると、「パロディー」という項目があるのを見つけて、「あぁ、みんなやりたいんだ」と確信しました。
それで、公式のアプリである強みを考えたときに、フォーマットだと思ったんです。スガシカオさんの曲と、黒いバックに白い文字がポーンと出るのを、みんなが真似したくなるわけです。公式がパロディーを公認するんだから、これは本物のクオリティでやらなければ意味がないと思い、面倒な権利をすべてクリアして実現に至りました。大ヒットさせたかったので、プロモーションは計画を立てて、100万ダウンロードを超える方法を1ヶ月考えました。

――真面目なイメージの強いNHKで、そのような遊び心のあるアプリを具現化するのは、苦労したと思いますが、どのようにして周りの大反対を押し切って実現できたのですか?

最初は、どういう使われ方をするかわからないから、危ないと周りは大反対でした。それも十分理解できることで、テレビはコミュニケーションが一方向なので、ネットと違ってイジられることに慣れていなくて、そのリスクがあると怖いわけです。でも、イジられるくらいじゃないと親しみがわかないじゃないですか。NHKのコンテンツにはとんでもない価値があると僕は確信していたけれど、若い世代には全然届いていません。若い人たちからすれば、距離が遠い存在なわけです。だから、やっぱりイジられるくらいの、身近な存在にならないといけないと思っていたから、そこは譲りたくなかったんです。
そこで、企画を通すために、プロフェッショナルアプリの試作版を、会長や理事のところまで持っていくことにしました。アプリで動画を作ってそれを見せながら、「かっこいいなぁ。さすがだなぁ。」と僕が言うと、動画を見た理事も「そうだろう」って(笑)。やっぱり、みんな出たいですもんね。その理事が「私が責任を持つから大丈夫だよ」と、上から通してくれました。まさに半沢直樹状態でした(笑)。企画が通るころには、周りもやっと「危なくない」と理解してくれました。

実際、バズりましたが、大きな問題は起きませんでした。ただ一件だけ、「万引きの流儀」を作ってYoutubeに投稿した中学生がいましたが、ネットの人たちが叩き潰してくれました。「このアプリをこういう風に使うんじゃない」みたいに。僕たちテレビの人間は、ネットについてよく知らないから、リスクばかりを見てしまったけれど、過剰におびえる必要はないのだとわかりました。いいものはいいと評価してくれたことがとてもうれしかったし、こういう届け方があるんだなと思いました。最初は反対していた人たちも、最後には「よかったね」と言ってくれました。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
この記事を書いた人
松尾 怜奈
中央大学文学部3年生。 高校時代は全国3位のバドミントン部に所属していた、生粋の体育会系。 大学では、新しいスポーツ(クディッチ)を始め、アジア大会進出。 長期インターンにも励み文武両道を目指す女子大学生。好きな芸人は小籔千豊。
RELATED POSTS