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INTERVIEW

May.31.2019
サガン鳥栖を引っ張る男の道程
横浜からベルギーへ。怪我により得た新たなつながり

現在、サガン鳥栖で活躍する小野裕二選手。マリノスのユース時代から脚光を浴び、活躍してきた小野選手は、期待を背負い20歳でベルギーに行くも、相次ぐ怪我に苦しめられました。怪我を乗り越えた今は、サッカーができることに感謝しているという小野選手。今までのサッカー人生や、勝ちへのこだわり、若手選手やサポーターへの思いを聞きました。

PROFILE
小野 裕二 (おの ゆうじ)
サガン鳥栖所属 サッカープレイヤー

Jリーグ横浜FMの下部組織出身。ユース所属時の10年7月18日、J1広島戦に途中出場し、公式戦デビュー。高校3年生ながら17試合に出場し、3得点を記録した。翌11年、トップチームに正式昇格を果たすと、高卒ルーキーながら異例の背番号10を任される。13年1月、ベルギー1部のスタンダール・リエージュに4年半契約で完全移籍した。15年7月、1部昇格のシント・トロイデンへ完全移籍した。4年間の海外挑戦を終え、2017年サガン鳥栖に移籍。レギュラーとしてチームには欠かせない存在である。
■小野裕二オフィシャルサイト https://ono-yuji.com/

ネイマールやルーニーに憧れていた少年時代

――中学、高校時代から華々しい活躍でしたが、当時参考にしていたプレーヤーや、尊敬していたプレーヤーはいましたか?

今でも仲のいい中学生時代のチームメイトに「この選手見てみな」ってDVDを渡されたのがネイマールでした。彼がまだブラジルでサントスというチームにいるころの映像で、当時は、こういう選手もいて、こんなプレーもあるのかと驚きました。そのとき僕は、サイドのポジションでプレーをしていたので、彼を参考にしていました。
高校に入ってからは、ウェイン・ルーニーです。ゴールも決められるし、アシストもできるし、守備もできるし、オールマイティーになんでもできるところが好きでした。なおかつチームに欠かせない存在なので、そういう選手になりたいと思っていました。

――指導者で印象残っている方はいますか?

一番印象に残っているのは、中学、高校のときの横浜F・マリノスの指導者の方々ですね。僕のプレースタイルに対して、何が必要で、どうすれば伸びるのかを、指導してもらえたので、プレーの幅が広がりました。わかりやすくいうと、ポジション。例えば、ずっとフォワードをやってきたけど、中盤をやらせてもらうことがありました。そうすると、視野が広がって、次にフォワードをやった時に、もっとこういう風に動いた方がチームメイトは動きやすいとか、わかりやすいとかが見えるようになりました。サッカー以外の部分でも指導してもらっていたので、今の僕がいるのはその方々のおかげだと思っています。

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サッカー観が変わった、ベルギーへの移籍

――マリノスで活躍し、20歳のときにベルギーのスタンダール・リエージュに移籍しましたが、日本のサッカーとの違いは感じましたか?

僕はベルギーに4年間いて2チームに所属しましたが、当時はベルギー代表が強いと言われる前で、ベルギーリーグがどういうものなのかも知られてなかったんです。川島永嗣さんがベルギーに行って、もがいて日本人の価値を証明してくれたおかげで、僕らがベルギーにいくチャンスを掴めた感じでしたが、実際に行ってみると、同じサッカーという種目なのに、すべてが違っていました。
日本だと、楽しいという理由でサッカーのプロを目指す人が多かったり、周りからも楽しいことが仕事にできていいね、とか言われたりするんですけど、海外では、楽しいだけではプロは続けられないなと感じました。例えば今、サガン鳥栖にいて、試合で負けたり順位が悪かったりしても、サポーターからはブーイングがほとんどなくて、いつも暖かく応援してもらっています。でも、海外だと試合で負ければブーイングだし、練習場にサポーターが文句を言いに来たり、クラブの会長のところに脅すようなことを言いに来たり、選手を囲んだりとかがよくありました。

――そこで過ごしたことで、サッカー観は変わりましたか?

変わりましたね。海外では、サッカーが生活の一部みたいな文化なんですよね。もちろんサポーターだけでなく選手も同じです。ベルギーには色々な国から来ている選手がいたのですが、それぞれ家族の生活を背負っているから、意気込みが違いましたね。同じポジションで普段は仲良くしているけど、練習に入ったらレギュラーの奪い合いだし、試合にでて活躍すればその選手が偉いわけです。でも、僕ら日本人でそういう選手って、ほとんどいないと思うんですよね。日本ではJリーグができてまだ25年くらいで、海外と比べると歴史の長さがまず違うなというのは、すごく感じました。

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怪我をしたことで作られた、新たなつながり

――それぐらい競争の激しい環境の中で、移籍後、半年後に怪我をして1年間試合に出られない時期が続きました。当時、どのような思いでしたか?

1、2ヶ月で復帰できるぐらいの怪我しかしたことがなかったので、大きな怪我はベルギーでの前十字靭帯の断裂が初めてでした。今は情報がたくさんありますが、当時はどういう怪我で、全治にどれくらい時間がかかって、どれくらいで感覚が戻るのか、手術が必要なのかどうかも全くわからなかったので、とくかく痛いという感情しかなかったです。日本に戻って手術を受けたのですが、その病院には、バドミントンや新体操、格闘技など、様々な競技をやっている選手が入院していました。全く違う競技の方と話すことで、知らなかった世界を知ることができましたし、自分にないものをもっているので刺激にもなりました。当時のベルギーのチームも僕が言葉を話せないのを理解してくれて、日本で手術やリハビリをさせてもらったのは、ありがたかったです。

――怪我の期間に出会った人たちの中で、特に印象に残ったエピソードはありますか?

僕は退院後、JISSというリハビリ施設に入ったのですが、J1やJ2などのサッカー選手はもちろん、卓球選手の福原愛さんとか、色々な競技の選手がいて、一緒にリハビリやトレーニングをしていました。施設では、同じ怪我をしている選手も多かったので、自分の膝はこの時期どうだったとか、この時期に走れるようになったとか、そういう話もできて励みになりました。
僕がJISSを出てベルギーに戻ったあとに、内田篤人くんもリハビリでJISSに入りました。篤人くんがドイツに戻ってから、永嗣さんたちや篤人くんとご飯に行く機会があって、そのときに、僕もJISSに通っていた話をしたんです。そうしたら、僕が一緒にリハビリしていた人たちと、篤人くんも仲良くなっていたことがわかって、そこから結構仲良くなって面倒をみてもらっていました。

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この記事を書いた人
コネクト編集部
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