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一般社団法人世界ゆるスポーツ協会:インタビューvol.1「ゆるスポーツの4年間を振り返って」

今話題の「ゆるスポーツ」。それは、年齢・性別・運動神経に関わらず、だれもが楽しめる新スポーツ。勝ったらうれしい、負けても楽しい。足が遅くてもいい。背が低くてもいい。障がいがあっても大丈夫。そんな「ゆるスポーツ」を開発する、スポーツクリエイター集団「世界ゆるスポーツ協会」が発足されて今年で4年。
「media CONNECT」リリース記念として「世界ゆるスポーツ協会」を立ち上げた代表であり、福祉クリエイターである澤田智洋さんと、「世界ゆるスポーツ協会」事務局長であり、「media CONNECT」編集長である萩原拓也の対談を企画。「ゆるスポーツ」は何を目指しどのように作られるのか、そこに込められた思いと4年間を振り返って今思うことを聞きました。終始和やかでありながら熱い議論が繰り広げられる2人の対談を、全3回にわたり余すことなく紹介します。
1回目となる今回のテーマは振り返り。設立から目まぐるしく進んでいった日々を振り返り、4年間に2人は何を得て、今何を思うのでしょうか。

■澤田 智洋
1981年生まれ。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごし、17歳で帰国。2004年広告代理店入社。コピーライターでありながら、音楽家、漫画家、福祉クリエイターなど幅広く活動している。世界ゆるスポーツ協会代表。世界ゆるミュージック協会代表。

■萩原 拓也
1983年生まれ。システム開発会社、スポーツIT会社を経て2018年スポーツマネジメント会社入社。スポーツ専門のシステム開発やコンサルタントをしながら、WEBメディアの編集長として活動している。世界ゆるスポーツ協会事務局長。media CONNECT編集長。

ノンムーバーからムーバーに

萩原拓也(以下、萩原):4年前のまさに今日(取材:4月10日)、世界ゆるスポーツ協会を立ち上げましたけれど、澤田さんにとってこの4年間での変化はなんですか?

澤田智洋(以下、澤田):僕自身の一番の変化は、パーカーを着るようになったこと。僕はパーカーを着るような人ではなかったんですよ。

萩原:確かに。パーカーのイメージは全然ありませんでしたね。

澤田:最近は毎日パーカーを着ていて、パーカーばかり買っています(笑)。スポーツの現場に出ることが多いので、革ジャンが面倒になってきたのが理由です。急にベビーバスケをやってほしいとか、体操をしてほしいとか言われることが多いですからね。あとは、20代のときは10年で2回しか運動をしなかったのですが、今は週2回それぞれ20kmくらいずつ走っています。月に160kmくらい走っていると、家に帰るときも「今日は早く帰れたからこのまま2駅分走ろうかな」と思うことが増えてきましたね。まさにノンムーバーからムーバーになりました。

萩原:そういう意味では、僕は澤田さん自体が一番「スポーツ化」したと思っています。肉体的なハード面も内面的なソフト面も(笑)。

澤田:そうですね(笑)。僕はスポーツとの接点が増えたことが大きいと思います。
僕は極端な例だけど、この4年でそういう人が結構いました。それは、あるスポーツを好きになった人もいれば、ある選手を好きになった人もいます。これは、彼らのスポーツのブランドイメージが変わったということだと思っています。もともと僕は、広告代理店で企業や商品のブランディングをしていたこともあって、今はスポーツのブランディングをしている感覚です。ゆるスポーツを通して、みんなが抱いている「どうせ」スポーツの「どうせ」を変えたいという思いでやってきて、この4年間でそれがいろいろとできていると思っています。

つながりから生まれた「友達ごと化」という考え方

澤田:萩原さんは4年間で何が変わりましたか?

萩原:僕はゆるスポーツを通して様々な人と知り合って、価値観と考え方が広がりました。ダイバーシティーと世間でよくいわれているけど、障がいをもっている人と知り合う機会はほとんどないんですよね。イモムシラグビーを開発したときに、パラリンピアンで車いす利用者の上原大祐さんと仲良くなったのですが、日常的に車いすを利用する人と仲良くなったのはそれが初めてでした。そうすると、駅でホームに向かうエレベーターに乗りたいと思ったときに、上原さんの顔が浮かんでくるようになりました。こういうところ見たらガッカリするだろうなって…。僕がエレベーターに乗ることで車いすの人が乗れなくなるかもと、階段を選ぶようになりましたね。

それを僕は「友達ごと」と呼んでいて、「他人ごと」だと興味はないが「自分ごと」だと頑張れる、だけど「他人ごと」を「自分ごと」にするのは難しいから、せめて「友達ごと」にしておけば、少しはその人のことを考えられるかなと思っていて。ゆるスポーツでいろいろな人と知り合って、つながってきたからできた考え方ですね。

澤田:人が友達ごと化することや仲良くなることは、プロセスを含めて明確なゴールを共有することか、無駄なことを共有することだと思っています。無駄な時間やコンテンツを共有することは、高度なコミュニケーションであって、すごく人間らしいですよね。わざわざしなくていいことをすることは、社会的には無駄であって排除しろと言われますが、それを突破できるのがスポーツであると思いますね。

障がいのある友人から学んだ「かっこつけない」ということ

澤田:「かっこつけない」というのは、ゆるスポーツ協会で意識していることですね。僕のダメ人間な部分は隠しても仕方がないですから。

萩原:ゆるスポーツ協会では僕らがダメ人間だから、みんなが助けてくれる構造ではありますよね(笑)。

澤田:一緒に仕事する人をチームメイトだと思いチームを組むことが大事であるのと同じように、自分の中にもいろいろな人格があってそれがチームみたいになっているんです。できる自分、できない自分、はたまたリトルフレンド。リトルフレンドというのは、自分の中にある友達人格であり、友達目線の視点。例えば、車いすユーザーである上原さんと友達になってエレベーターに乗らないようにすること、それは自分の中のリトル上原が「それは良くないよ」って言っているんですよね。
自分の中のチーム制を意識していかに発揮していくか、これが自分のチームだということをいかに周りに知ってもらうか、愛してもらうかがとても大事だと思うんです。でもみんな自分の中の主人格であるエースだけを取り出してしまうから、他人とぶつかったときに自分を全面否定することになってしまう。それはしんどいですよね。

萩原:その考えはこの4年間で色々な人と関わってできるようになってきました。弱さやできないことを前に出せるようになったんです。以前は、「できない」、「知らない」、「無理」という言葉を使うことが嫌だったのですが、今は弱さやできないことを前に出したほうが、自分も周りも含めて全体最適化が図れると感じました。もう人を頼っちゃおうって(笑)。

澤田:僕はそれをゆるスポーツの活動を通し、障がいのある友人から学びました。彼らは障がいを全く隠さず、むしろ「キラーコンテンツ」だと思っているんです。僕のある友人は自分が車いすであることを大いに活用していて、この間はすごい著名人に会っていました。「歩けない」という自分のパーソナリティを肯定することで、他の人ができないことをできるようになっているんですよ。

萩原:うんうん。

澤田:「これができるひと」ではなく「これができないひと」で手をあげられるような社会も同時に必要なのだと思います。そこに大事なのは、できないことを堂々と言ってよい空気感を作ることと、できないという考え方。「自分ができないことは、誰かを輝かせるためのすごいことなのだ」と自信をもっていいと思うんです。申し訳なさそうな態度はやめて自慢してほしいです。そのほうが弱さをなんとかしようと思えると思うんですよね。

萩原:もう居直っちゃう感じですね。「俺はできない!助けて!」って(笑)。

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