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ファクンド・メディーナ独占インタビューvol.1 『サッカーか学校か……苦境の少年時代』

フランス・リーグ1のRCランスに所属する、ファクンド・メディーナ。
抜群の危機察知能力とポジショニング、正確なロングフィードを武器とする、アルゼンチン代表のDFだ。

メディーナは、アルゼンチンの名門であるリーベル・プレートの下部組織で力を付けると、同じアルゼンチンの強豪CAタジェレスへ移籍。
2シーズンプレーした後、フランスへと活躍の場を移している。

今年の11月に行われる、FIFAワールドカップでの活躍も期待される若手選手でもある。
そんなファクンド・メディーナに、メディアコネクトが独占インタビューを行った。

彼が子供の頃に経験した壮絶な体験は、サッカー選手を夢見る君に勇気を与えてくれることだろう。

今回は、全2回にわたるインタビューの1回目になります。

【メディーナのプレー集】

生年月日:1999年5月28日(23歳)
出身地:アルゼンチン/ブエノス・アイレス
身長:180cm
体重:78kg
在籍チーム:RCランス
ポジション:DF
背番号:14
利き足:左足
経歴:20016-2017 リーベル・プレート/2018-2020 CAタジェレス/2020 RCランス

–若い頃、サッカー選手として成長していく上で、障害に感じていたことは何でしたか? 指導者や経済的な問題、チームや怪我など、何が一番大変だったのでしょう?

一番の大変だったのは、リーベルからタジェレスに移籍が決まった時かな。家族や多くの人に相談したよ。熟考した上での決断だったね。
すでに自分の中では決めていたことなんだけど、他の人の意見も聞きたかったんだ。移籍は大きな出来事だったね。そして大きな挑戦でもあったよ。
けど、上手くいかなかったらどうしよう、という不安はなかったね。

アルゼンチンリーグでは3人の監督から指導を受けたんだ。初めの監督はガジャルド、2人目はベカセセ。2人の監督からはたくさんのことを吸収したよ。
センターバックとしてのプレーの基礎を学んだんだ。ここランスでプレーしているのと同じように、僕を3バックのセンターとして起用してくれた。

コルドバ(タジェレスの本拠地)へは、家族も一緒に連れていく必要があった。僕は、その時まだ18歳だったんだけど、家族を支える大黒柱になったんだ。とにかく大きなプレッシャーだったね。

–18歳で家族全員を背負い、父親のような役割も担っていたのですから、それは大変でしたね

父親のようだったかは分からないけど……
僕には3人の弟がいるんだ。僕はいつも兄弟に「俺はお前たちのお兄ちゃんだから、いつも一緒だ。
必要なことがあったら何でも言ってくれ」と伝えていたんだ。これら家族のことで自分自身、混乱を招くことは一度もなかったね。

僕が家族を支えていたから、兄弟たちは僕に父親のような印象を持っていたんじゃないかな。僕にとっての母親は父親の要素もあり、さらには友達のような存在も兼ね備えていたんだ。
サッカーを始めてからというもの、僕はいつも母親と二人だったからね。お婆ちゃんも良くしてくれたかな。今言ったことが僕の、リスペクト・謙虚さ・努力することの基礎を作り上げたんだ。

–勉強を続けるか、それとも勉強をやめてサッカーに専念するか、あなたは早い段階で決めましたよね

もちろんさ。少し運も良かったと思うけど。僕の場合は、学校かサッカーかを選ばなければならなかった。

ある時、身体がキツくなったんだよ。その頃はいつも朝の4時に起きていて、母親に学校まで送ってもらっていたんだ。
僕の住んでいる地域は、とても治安が悪い場所だったんだ。12歳くらいの子供がタバコやそれよりも悪いものを吸っているようなね。

しかも当時それが、だんだん悪化していっている状況だった。こんな環境だったから、抜け出すのにはすごく苦労したよ。
こういう地域では良いことも学ぶけど、悪いことも同時に覚えてしまうんだ。子供の成長にとって、本当に悪影響なんだ。

–子供の頃の思い出はどんなことがありますか? ディエゴ・マラドーナと同じ地域で育ちましたよね?ディエゴの影響はありましたか?

常に影響はあったね。リーベル入団時、チーム側に出身地を聞かれたんだ。そうしたら「ディエゴが育った町じゃないか!」と言われたよ。
ディエゴは本当に偉大な人物だからね。有名な地域で生まれ育ったことに感謝をしているよ。

マラドーナのドラマは観た?(Amazon Primeで視聴可能)僕は観たよ。3話とか4話くらいまでだけど。ドラマを観ていたら本当に泣けてきたよ。
人生をしっかり生きようと思ったね。ドラマ内で伝えたかったであろう、母親の大切さ、努力など……彼は練習へ通うための交通費をいつも持っていなかったのを知っているかい?
僕の母親も、家に食べるものがなかった時は、自分は食べずに僕にくれていたんだ。グラス半分までの水に、5日前のパンを浸して食べていることもあった。
僕にとって交通費を捻出することは、とても大変なことだったんだ。

だからこそリーベルでの練習は、真面目に取り組むことができたんだ。僕は家族に〝食べ物に不自由しない生活〟〝屋根がある暮らし〟をどうしてもさせたかったんだ。
だから練習も頑張った。あの当時は、すごく大変だったよ。クラブが下宿先を用意してくれるまでは、長距離を一人で通っていたんだよ。
リーベルには宿舎があってね。あそこが僕のサッカー選手としての原点さ。

–若い選手に「すべきこと」「すべきでないこと」を伝えるとしたら、どのようなアドバイスをしますか?

それは、それぞれの選手によって変わることだよ。人生は自分で選択しなくてはだめ。その中で間違えることもあれば、上手くいくことだってある。
ミスをしたのなら、それは学ぶチャンスさ。そこを自分で気付けるかが重要になってくるね。高いパフォーマンスを維持するためには、考えなくちゃいけないよ。

自分が良い状態でいることができれば、チームにも良い雰囲気が生まれる。子供たちには、謙虚な心とリスペクトの精神を持って、努力をしていって欲しい。
努力こそ、人間形成に大きく役立つことだからね。謙虚でいることもそうさ。サッカー選手には引退がいつかはくるけど、人生は続くからね。これらのことは必要だよ。

 

▼インタビュー動画はこちら▼

To Be Continued…(vol.2の投稿は9/11(日)予定)

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