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元ラグビー日本代表キャプテン 廣瀬俊朗:インタビューvol.01「キャプテンのスタイル」

新型コロナウイルスが世界中に蔓延する危機的状況の中、人類は国境を超えてスクラムを組み、ONE TEAMになることを求められています。1つの目標に向かい、構成員全員が協力し合うONE TEAM。そこには、優れたリーダーの存在が欠かせません。2015年に南アフリカ代表戦勝利という「ラグビーW杯史上最大の番狂わせ」を成し遂げた日本代表には、 チームの精神的支柱とも言える陰の功労者、廣瀬俊朗さんがいました。その廣瀬さんに、キャプテン論について、お尋ねしました。

こちらのインタビューは、全3回にてお届けしたいと思います。

1981年10月17日生まれ 大阪府出身 身長173cm/体重82kg(現役時)
5歳で吹田ラグビースクール入団、大阪府立北野高校、慶應義塾大学を経て、2004年に東芝入社。中学生以降、各チームで主将を務める。日本代表には、2007年初選出、その後5年間遠ざかるも、2012年に主将として復帰。2014年に主将の座を譲り、以後出場機会が減るも、2015年W杯でのジャパンの躍進を陰から支えた。2016年に現役引退。ラグビーW杯日本大会が開催された2019年は、東芝退社、ビジネス・ブレークスルー大学大学院MBA取得、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』出演、W杯アンバサダー活動、会社設立など、多忙を極めた。

――カテゴリーが上がるにつれ、キャプテン像の多様性は増すように思います。中学生の時からずっとキャプテンだった廣瀬さんですが、ジャパンや東芝でキャプテンに選ばれ続けた理由を、どう分析なされていらっしゃいますか?

ジャパンの時は、チームのベースを作るという役割をエディーさんが期待してくれていたのだと思います。東芝の時は、みんながみんな賛成したかどうかは分かりませんが、チー ムメートのことをよく知っている僕がみんなをまとめることを、当時の監督だった瀬川(智広)さんが期待していたのではないかと思います。

――東芝で全員の賛同が得られたか分からないというのは、何か思い当たることがあるのでしょうか?

監督が「廣瀬にしたい」と言った時に、「みんなから賛成は得られなかった」と聞いていま す。僕の前のキャプテンだった冨岡(鉄平)さんは、ちゃんと自分を持っていて、みんなをリードしていけるという感じでした。僕は前に出て引っ張っていくというよりも、一人ひとりに役割がある、みんな一緒に頑張っていこう、というようなスタイルでした。それまでの東芝のリーダーやキャプテン像とは違うスタイルでしたから、反対する人とか、ちょっと押しが弱いと感じた人がいたのではないかと思います。

――ご自身は、どんなチームでもスタイルを変えずにチームを率いたのでしょうか?

小さい時は、一番自分が上手いので、そこでリーダーシップを発揮できることが多かった のですが、社会人や日本代表になると、自分より上手い人や、年齢が上の人などがいます。 プレーだけではチームを引っ張ることができないので、みんなの役割作りとか、組織の大義とか目的とか、そういうところを、ちゃんと言葉にして伝えられるかが大事になっていったと思います。

――変えた方がいいこと、変えずに引き継いだ方がいいこと、それぞれあるかと思います。東芝では、冨岡鉄平というカリスマ性のある人物の後任でした。

当時を振り返って一番失敗したと思うのは、冨岡さんが作ったスタイルが東芝のキャプテンのスタイルだと思ってしまい、真似をしてしまったことです。自分らしさがなくなり、 みんなには不誠実なキャプテンになってしまった、そこが一番悩んだところです。

――2012 年、日本代表の新監督に就任したエディー・ジョーンズが、5年間代表に選ばれていなかった廣瀬さんを、キャプテンとして抜擢しました。エディーさんと最初に会ったのは、 いつ位だったのでしょうか?

僕が東芝のキャプテンを終えた位の時期でした。自分のスタイルがある程度確立されてからエディーさんと会えたので、そこは良かったと思います。

――最初のメンバー発表の記者会見での廣瀬さんの第一声は、「皆さん、驚きましたか?僕も驚きました」でした。実際、会見の場にいたメディアは、一様に驚きました。ご自身は、本当に驚いていらっしゃったのでしょうか?

驚きました。今振り返っても、ほぼ国内のチームでしか経験のない 30 歳の選手を、良くキ ャプテンに選んだなと思います。一方で、光栄でもあったので、驚きました。

――あの当時、エディーさんは、出会った中でナンバーワンのキャプテンだと言っていました。

それはリップサービスだと思います。

――その2か月後に、「同じ過程を辿れば同じ結果しか出ない、やり方を変えろ」という内容のことを言われたそうですね。

エディーさんは当時、ずっとそういうことを言っていました。ジャパンは過去 20 年間、W 杯で勝ったことがないチームだから、同じ過程を辿ると同じ結果しか生まれない、結果を変えたければ過程を変えろと、ずっと言われていました。キャプテンに打診してきた当初 からそういうことを考えていたと思うので、それ自体に対しては、期待を裏返して言われたとか、どうこう思わないです。逆に失うものはないから、自分たちが信じ切ったスタイルでやると最初から言われていました。

――キャプテンとして、任される環境があったかと思えば、エディーさんみたいに監督が徹底的に管理する、任されない環境もあったかと思います。どちらがやりやすかったですか?

大学の時は、監督が(本業の都合で週末のみ指導するため)物理的にフルタイムでは現場にいなかったので、選手が考える時間がありましたし、選手に振るタイプの監督が就任して、任されることが多くありました。エディーさんの時は、ジャパンにあまりベースがなかったと思うので、最初はある程度トップダウンで、僕たちがあるべき姿のスタンダードを作ったのが良かったと思います。組織のフェーズによって、トップダウンに行くのか、 ボトムアップに行くのかは異なってくるのかなと思います。年齢にもよるのかもしれません。一概には言えない気がします。

――フラストレーションは、どちらの環境の時の方が多かったですか?

フラストレーションの質が違う気がします。トップダウンだと、キャプテンとして自分の思い通りにできないような、そういうところはありますが、その道が正しいとすれば、あまりいろんなことを考えないで済む場合もあります。逆に、実際自分たちでやれと言われれば、考える時間も増えますし、役割や責任も増えると思います。フラストレーションということはあまりないですけど、やっていることに対するボリュームや質が変わってくる気がします。

――キャプテンには、監督と選手の間に立つ、中間管理職のような役割もあるかと思います。 キャプテンというのはリーダーなのか、リーダーに準じるものなのか、それとももう少し違う存在なのでしょうか?

キャプテンは「現場のリーダー」だと思います。ただ、仕事と違うのは、人事権を持って いないことです。だから、誰かを選ぶ、選ばないというのはないので、中間管理職とは違うと思います。その分、キャプテンは嫌われない方がいいと思います。一緒にやっていく仲間なので、嫌われると「あの人のために戦おう」という気持ちが無くなってしまいます。 ただの仲良し集団がいいとは思いませんが、みんなのことを尊重して、お互いの信頼関係を持てるかどうかが大事だと思います。監督には人事権があるので、全員をハッピーにはできません。そういう意味で、監督の思いとか、実際メンバーから外れた人間に対して、 選手同士でカバーできる、もしくはリーダーやキャプテンがそのあたりを担保できると、 チームとしてはいいと思います。

――キャプテンは嫌われない方がいいのに対して、監督はどうでしょう?

監督は人事権があるので、みんなにいい顔はできないと思います。

――キャプテンは嫌われてはいけないという部分、エディーさんとの関係でどうだったのか、 教えて下さい。

エディーさんは、かなり嫌われる辛辣な感じなのですけど、あそこまで強く人にあたるということは、僕には出来ないと思いました。でも、何年か経ってみれば、彼のあの時の辛さは勉強になったなみたいなところはあります。改めてすごいなと、いつも思います。あの人を見て、監督だけでなく、自分まで嫌われたらチームが崩壊するなと思ったところもあるので、バランスも考えないといけないなと思いました。やはりキャプテンは嫌われてはいけないと思うので、もし選手の中で締める役割を求められるとするならば、それはバイスキャプテンとか、もしかしたらそういう嫌われる役の選手なのかもしれません。フミ (田中史朗)みたいな人がいてくれるのは、とても貴重かなと。僕は、フミにはとても感謝しています。

――そうした嫌われ役の選手の存在は、いなければ作るべきですか?

それは組織の状況によるかと思います。先日、フミと話したのですが、2015 W 杯の後は、 あまり怒ったことがないと言っていました。ちゃんとスタンダードがあって、それやるとみんな言っているからだと。組織のレベルに応じて、締めないといけないフェーズで、スタンダードが低ければ締める人が必要ですし、高かったら締める機会も少ないと思います。

――ご自身も、引退後に東芝でコーチを2シーズン務めました。チーム内にコーチは複数存在しますが、コーチとはリーダーなのでしょうか?それとも違う存在なのでしょうか?

コーチもリーダー的なところがあります。役割としても、コーチングみたいな時もありますし、ちょっとしたティーチングみたいなところもあります。いろんな要素が含まれているのではないでしょうか。

――そのままコーチとして続けて行く考えはなかったのでしょうか?

何より、2019 年に W 杯が日本で開催される中で、コーチとして中途半端にラグビーW 杯に携わりたくないと思いました。2015 年は、1選手として全て費やして W 杯を迎えました。 2019 年は、選手を引退した後の日本での W 杯に対して、自分自身の100%を向けられる、 そういう体制にしたいと思いました。それでコーチを辞めました。

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