――はじめようか。
やあ!僕はトゥク・ペレイラだよ。メディアコネクトを見ているみんな、よろしく!
――子供時代の話を聞かせてよ。故郷のトゥクマン(アルゼンチン北部の町)でどんな風に育ったのか。どんな選手だったのか・どんな子供だったのか?
そうだね。サッカーを始めたころ考えてたことは、 プロの選手になってサッカーで食べていくんだって想像してた。いつも自分に問いかけていたし、小さい頃から想像してた。
その当時とても辛かったのは、練習に行くための手段がなかった。
練習場に行くバスに乗るためのお金がなかったことだね。
だから、時々自転車を借りて練習に行った。子供の頃の思い出といえば、まずそのことが頭をよぎるんだ。
――そういう思い出はいつまでも心に残る?君や君の家族にとっていいことや辛かったことがそんな風に記憶に残るのかな?
そうだね。そういうことはいつまでも覚えているし、
家族とも、僕が子供時代に苦労した話をしたりするよ。
そこらの連中は、過去にそういうことがあった事も知らずに人のことを判断したりする。
でも、僕がいつも言いたいのは、常に前を見なければいけないし、自分の夢や目標を達成するために必要なことをやるべきってことさ。
――子供の頃は、自分に起こっている現実をどう受け入れたの?家族や両親はサッカーを辞めろって言わなかった?その頃は親には反対されてたんだろ、そんな家族からのプレッシャーを小さな子供が1人でどうやってはねのけていたんだい?
プレッシャーというよりも、むしろそれを楽しんでいたかもね。
なぜって僕の家族はみんなサッカーが好きだったし、兄貴もサッカーをやっていたけど、いろいろ問題があって続けることができなかった。それで、僕が兄貴の道を継いだんだ。
実際、小さい頃は無理やり兄貴に練習に連れて行かれた。
その頃の僕は練習に行きたくなかった。練習に行くよりも、地元の子たちと遊ぶ中で一番になる方が好きだったから。でも、いつも兄貴にせかされていた。「さあ、行くぞ」「早く行かなきゃ遅れちゃう」ってね。
今、僕がこうしてここにいるのは、彼のおかげでもあるんだ。サッカーを続けることを唯一後押ししてくれたのは彼だったからね。別の道に進まなかったのもね。僕は勉強ができなかったし、唯一の生きる道はサッカーしかなかったんだ。前にも言ったように、そんなことを思い出したりはするけど、今は楽しんでるよ。
――アトレティコ・デ・トゥクマンに入団した頃、誰に憧れていた?君のアイドルであり目標は誰だった?
子供の頃はすべての選手に憧れていた。小さい頃は特定の憧れていた選手はいなかった。
その後はいたよ。物事が別の方向に向かい、いろんな可能性がでてきた頃、サッカーをもっと別の角度から真剣に見はじめるようになっていたからね。
いつだって、アリエル(オルテガ)のプレーを見るのは好きだった。
うちの家では僕が小さい頃から、よく父親がリーベル(リーベル・プレート)の試合を見に連れて行ってくれて、よく言ってたんだ。「見ろよ!アリエルのプレーを」ってね。
だから彼は別格だって思ってた。それが彼を好きな理由だよ。いつも彼がどうプレーするか見ていた。
―― 「もし、あの日にこんなことが起きなかったら、今ごろ僕はここにはいなかった」と思うような瞬間やきっかけはあった?家庭内の問題とか、サッカーをやることを賛成されたとか反対されたとか。モチベーションが上がったことや下がったこと。あまりに大きな期待をかけられたとか。どこの家庭にもドラマがあるもんだ。気に入らない監督がいたとか、いい監督に出会ったとか。
いや、そういうことを考えたことは一度もなかったな。
なぜなら、僕にはいつだってプレーするという個人的な目標があったし、それは誰にも邪魔できなかったものだから。 僕が自分に課していたのは、なにかを成し遂げたいと思った時は結果が出るまでやるってことさ。やりたいことは決してやめない。だから、今質問されたようなキッカケみたいなことはなかったよ。そんな状況になったことはないから。
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To Be Continued…(vol.2は7/12(日)投稿予定)