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ロベルト・ペレイラ選手独占インタビューvol.3『イタリアでの最初の6ヶ月は本当に辛かった。』

ロベルト・ペレイラはアルゼンチンのリーベル・プレートで育ち、2011年にイタリア・ウディネーゼに渡った。巧みなドリブルと運動量によって、トップ下を本職としながらも、インサイドハーフやセンターハーフも担うことができるポリバレントな選手である。その後移籍した名門のユベントスでもトップ下としてレギュラークラスに定着、攻撃の切り札として活躍した。 2016-17年よりワトフォードに移籍、2018-19のプレミアリーグ開幕戦ブライトン戦では2ゴールの活躍で開幕戦の勝利を助けた。

メディアコネクトにて、サッカーとの出会い、セリエA、プレミアリーグでの奮闘記、アルゼンチン代表への想いなどをインタビュー動画で語っています。

今回は、全6回にわたるインタビューの3回目となります。
vol.2はこちらから

生年月日:1991年1月7日 / 国籍:アルゼンチン / 出身:サン・ミゲル・デ・トゥクマン / 身長:184cm / 体重:74kg / ポジション:MF / 利き足:左足 / 背番号:37
経歴:CAリーベル・プレート (アルゼンチン・2008~2011) → ウディネーゼ (イタリア・2011~2015) → ユヴェントス (イタリア・2015~2016) → ワトフォード (イギリス・2016~)


――デビューの瞬間はどうだった?誰から言われたの?その当時の監督は?

僕がサブチームとトップチームの両方で練習していたクラブではいつも、2日前か前日にロッカールームのドアに試合の招集選手のリストが張り出されるんだ。

必ずそれを見るんだけど、初めて僕がトップチームに招集されているのを見た時は、思わず両親に電話した。

「招集されたよ!」ってね。

もちろん、その時点では試合に出られるかどうかはわからないんだけど。 でも、初めてトップチームのメンバーに招集されたんだ。それは僕にとって大きな出来事だったし、ポジティブなニュースだった。だから、それを楽しむことができた。

―― その時は来た。そしてキックオフのホイッスルを聞いた。それで、プレーしたの?

うん、そうだね。

――初めてプレーするチャンスが来た瞬間は足が震えた?それとも落ち着いていた?

いや、プレーするチャンスが来た時は落ち着いていたよ。交代選手としてピッチに入った。ひどい試合だったけどね(苦笑)。僕がデビューした当時の監督はカパさんで(アンヘル・カパ監督)相手はウラカンだった。でも、ちょっと複雑な気持ちだった。念願のデビューは果たせたけどチームは負けたからね。

だけど、それでも素晴らしい瞬間だった。

――当時の話をする時にこの話題は避けて通れないわけだけど、さっと聞くよ。僕もこのいまわしい話にはあまり触れたくないんだ。でも事実は事実だからね。リーベルで素晴らしい挑戦や経験をして、立場を確固たるものにした君だけど、チームの降格という悲劇があった。非常に厳しいシーズンだったんじゃない?過去の栄光に傷をつける出来事だったのだから。もちろん、今では単なる歴史の1ページに過ぎないことではあるけど。

そうだね。難しい時期だった。でも、僕ら17、18歳ぐらいの多くの若い選手にとっては、僕たちがどんな状況に立たされたかという自覚はあまりなかった。

一方、年上の選手たちはどんなことが起きたのか十分にわかっていたけどね。

僕たちはその瞬間、それほど深刻には考えていなかったんだ。クラブの歴史にとって悪い時期というのは、そこにいた僕たちにとっても同じことなんだけどね。でも、今となってはもう過ぎたことだ。

今は、クラブで過ごした当時の思い出を楽しめているよ。

――リーベルのようなサポーターや選手がいるビッグクラブでも、過去の過ちから学んだことが今現在の好調な状況につながっていると思う?

そうだね。おそらくは。よく言うように、「過ちは学ぶためにする」だよね。

あの当時はおかしなことがたくさんあったけど、僕たちは我慢するしかなかった。
でも、思うようにいかなくても前を向いてやってきたから今があるんだ。

人生は続くんだから、前を見て進んでいかなきゃね。

――  それからイタリアに行ったけど(ウディネーゼに移籍)、どんな苦労があった?よかったことは?

うん、すべてよく覚えてる。最初の何ヶ月かは帰りたくてしかたがなかった(笑)
走ってすぐにでも帰りたかった。そこにはカロって子がいて、彼女はいつも僕に話しかけてくれた。

彼女には、「なんでここに来たのか、これからどうしていくかを考えなさい。強くなりなさい」っていつも言われてた。そんなことを思い出しながら、耐えに耐えていたね。

幸運にも6ヶ月後に試合に出始めることができたんだけど、最初の6ヶ月は地獄だった。いつもスタンドから見ているしかなくてふてくされていたよ。でも、それから運良く試合に出られるようになって、そこからは立ち止まらなくなった。

――辛い時期だったよね。そういう痛みを経験して鍛えられたんじゃない?どうして、くじけたりあきらめたりしなかったの?

いろいろなことが一度に押し寄せてきた。クラブ(リーベル)で経験した瞬間のような酷いこともあった。

その後、リーベルでプレーできるようになり、(アルゼンチン)U―20代表にも呼ばれてイタリアに行った。
でも、さっきも言ったように、(イタリアでの)最初の6ヶ月は本当に辛かった。

言葉の問題とかイタリアの文化の違いとかだけど、ラッキーなことに、それらに耐えることができ今はその時の思い出を楽しんでいるよ。

――練習場に行くためにバスに乗るお金もなかった少年がユベントスに入団することになったなんてどうだい?偉大な歴史上のモンスターたちが在籍したユベントスのロッカールームの雰囲気はどうだった?

うーん、そうだね。ウディネーゼでプレーすることになってから、まったく別のステージになったし、

違う考え方をするようになった。その後、あなたが言ったユーベのようなビッグクラブでプレーするようになってからは、今までなかったような特別なモチベーションを感じた。

ユベントス移籍が決まってから、そうなってみたら、なんて言うか、、、驚きとはまた違う思いかな。
なんていうか、、、こんなに早くここまでたどりつけるとは思ってなかったというか。

そう、でもそれはとても特別なことだったし、とても感動的なことだった。ユーベのような大きなクラブに入団できるところまで来れたってことがね。

▼インタビュー動画はこちら▼

To Be Continued…(vol.4は7/26(日)投稿予定)

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