――最初にライフセーバーを目指したきっかけを教えてください。
もともと小さい時は身体が弱かったんです。喘息やアレルギーもありましたし、虚弱体質を変えたいと思って、水泳を始めました。サッカー、陸上にも手を出しながら競泳はずっと続けていました。
順調に泳いでいたのですが、高校生で本格的に伸び悩んでしまうんです。
多い時は、毎日20キロくらい泳いで必死に練習を頑張ったんですが、3年間でタイムが1秒しか伸びなくて。
この時に、競技として水泳をやる限界を感じて、精神的にもきつい日々でした。
身体を強くするために水泳をやってきたのですが、競技的には魅力無くなった部分もあって、「泳ぐことをやめずに、競技はやめる方向」を考えた結果、大学ではトライアスロンを選びました。
でも、トライアスロンはお金がかかる。両親が離婚したばかりの時期でもあったので、大学の学費もアルバイトしながら稼いでいた状態でした。
遠征に行くと毎回10万円、自転車を買うだけで100万もかかるという競技は、生活のスタイルに合わなかったですし、当時の僕には続けることが難しい状況でもありました。
そんな時、大学のライフセービングにも話を聞きに行きました。鍛えられた人たちが波の中をこえてレスキューしたり、レースをしている迫力ある様子を(勧誘時に見せられるビデオ的な)動画で見て、「こんなたくましい人がいるんだ」と思って、身体の弱かった僕が、”もっと強くなるために始めた”というのがきっかけでした。
――ライフセービングで苦労したことはありましたか?
トレーニングはとても面白くて、高校で伸び悩んでいたのに半年くらいでタイムは縮まりましたね。
1年目はトレーニングやっていましたが、事故は起きず平和な日が続いたので、モチベーションの維持は難しかったですね。毎日のようにレスキューが起こるものだと思っていたので。
何か起こった時に向けて緊張感は持っていないといけない。でも、平穏な日々が続くので、なかなか、自分の身体に(緊張感が)浸透しなくて。1年目の時は、救護用のベットの下で寝ていたこともありました。
朝に2時間練習した後、日中は朝9時から16時までライフガードをやり、その後は17時から19時まで練習。トレーニングを頑張りすぎると、日中に眠くなってしまうこともありました。
高校時代のあだ名は「もやし」。白くて細くなよなよしていた。
大学に入ってからは、「肉とかタンパク質を摂るように」と先輩から教えてもらいまして、1年で10キロくらい体重も増えて、一気に身体が大きくなりました。高校時代を知る人からは、「高校の時は頑張ってなかったのでは?」と言われたこともありましたね。
「とにかく身体を強くしたい」という憧れがあったので、必死にやりましたよ。もともとは「人を助けたい」という理由でライフセービングを始めたわけではありませんでした。
――「ライフセーバー」として活動したのはいつですか?
1年目は、何も事故は起きませんでした。続く2年目は、監視タワーから見ていた時に、中学生くらいの子が溺れているのを見つけました。その近くにいる先輩に「レスキュー!」と言うんですが、波が大きくて、目の前にいるのに助けに行けない状態でした。
先輩が助けに行かないから、「手遅れになるといけない」と思って、僕が救助器材も持たずに助けに行ったんですが、その子に必死にしがみつかれて、溺れそうになってしまいました。
その時は、最終的にボードが得意な先輩が来て、ピックアップしてもらったのですが、これまでにやってきたことと違う本番がありました。(救護に駆けつけた人が)必死になりすぎてどうしていいかわからなかった。このときから、心を入れ替えましたね。
「泳げる」ことが、救助に長けているわけではないことを知ったので、ここから勉強して国内外の事例を見たり、「みんなのモチベーション上げて指導するにはどうすればいいか?」を考えるようになって。ライフガードの地位を底上げできるように、知ってもらえるような目立つ位置に、活動場所を移動、看板も設置させてもらったりしました。
3年目はキャプテンとして、内容やシフト決める一方、日本代表として国際大会にも出ました。
でも、国際大会に出たものの、大きな波のなかでレースをしましたが、完走がやっと。自分の実力の低さや、世界のレベルの高さを感じさせられて、「もっとレベル上げたい」と思うようになりましたね。
To Be Continued…(vol.2は8/22(土)投稿予定)