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―フェンシング選手としてのキャリアを振り返ってみて、手応えを感じていますか?
オリンピックのメダルをゴールって考えたら、まだ物足りないんですけど。
でも、日本にいて、同期や先輩方も、海外では結果を出している選手なので、自分がそこにいてちゃんと練習して、努力を続けていれば、そのポジションに行けるという手応えを感じていて、そのためにしっかり取り組めたらと思います。
―挫折を感じた経験は、ありましたか?
全日本で2位になったのが、2018年12月で、その後すぐの2019年4月に膝の前十字靭帯を切ってしまい、1年間リハビリでまったく試合にも出場できない状況が続きました。
肉離れすらしたことなかったので、大怪我は初めてで、そこまでフェンシングから離れる機会がなかったので、そこが一番挫折というか、気持ち的にしんどい時期でした。
2019年4月から1年間の試合で東京オリンピックの選考が決まるというタイミングで怪我をしてしまって時期が時期だったので。試合に行く1週間ほど前でした。
前十字靭帯は、先輩や同い年の子が怪我したのを見ていたので、診断名を聞いて全部想像できてしまったので、気持ち的に結構厳しくて・・・辞めたいとは思わないですけど、ちょっとフェンシングから離れたいなって初めて思いました。
手術も初めての経験で、前向きな気持ちになることが出来なくて、最初の頃はずっと泣いていましたね。
―そこから立ち上がる、キッカケはどのように見つけていったのですか?
手術を終えて、リハビリをやっていくうちに親も凄く応援してくれて。
怪我してからは仕事を休んで東京に来て、面倒を見てくれたりしてくれました。
お友達、先輩、チームメイトからも励まされて、「ああ、やっぱり頑張らないと」って奮い立たされましたね。
東京五輪は無理だけど、パリを目指そうって気持ちに徐々に変わっていって。
今では東京はしょうがないって割り切って、パリだけを見ている感じです。
―タイミング的に水泳の池江 璃花子さんの存在は、励みとういか刺激になったりしたのですか?
NTC(ナショナルトレーニングセンター)で練習場所は一緒なので、見たことはあって、もちろん活躍も知っているので。最初の療養するニュースを知った時はすごく驚きました。でも、東京五輪代表を勝ち取ったニュースや特集を見て、本当に言葉が出ないくらい鳥肌が立って、並大抵の努力じゃ足りないんだろうなってのはすごく感じましたね。
―他にモチベーションを上げるキッカケは何かあったりしたのですか?
一番は家族の応援です。
10歳下の妹がいるんですけど、私が13歳の時に東京に来たので、3歳で離れてしまって。私が東京でフェンシングを頑張っているのを小さい時から見ていたので、妹もバドミントンを始めてメチャクチャ強くなっているんです。
その頑張りを見て、私も励みになるし、姉としてしっかりとお手本になりたい気持ちは強いですね。手紙とかもくれるので。3歳の時にバイバイしたので、ずっとその歳の感覚で扱ってしまうのですが(笑)
姉として、良い背中を見せられていたらいいですね。
To Be Continued…(vol.3の投稿は9/26(日)予定)
今回のメディアコネクトインタビューは、向江彩伽選手も所属する城北信用金庫・JAC協力のもと取材が実現しました。
JACでは向江選手以外にも、次世代を担う様々なアスリートのサポートを行っています。オリンピックをはじめ、国内・国外問わず、活躍が期待される選手が所属していますので、ぜひともチェックをしてみてください。詳しくは下記HPから。
【JACアスリート支援の取り組み】
当金庫では、安心して競技活動に専念できる環境を選手に提供することで、若い世代の「世界の頂点に向けたチャレンジ」を全面的に応援しております。同時に選手の現役引退後も見据え、業務や地域社会との関わり等の機会を可能な限り提供することで、高い人間性や広い視野を持った社会人として育成したいと考えております。また、平成28年7月より「Johoku Athletes Club」を創設し、チームだからこそできる地域とのコミュニケーションに取り組んでまいりました。(城北信用金庫HPより抜粋)
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