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–どういったキッカケで、パラスポーツに関心を持つようになったのでしょうか?
1998年の長野パラリンピックでアイススレッジホッケー(現競技名パラアイスホッケー)を見て、衝撃を受けました。凄いスポーツだなと。
障がい者スポーツというイメージを全く受けなくて、これはテレビのスポーツコンテンツとして十分成立する、コンテンツとしてビジネスになる、見る人が増える、スポンサーがつく、有料視聴に適う、面白いスポーツだと思いました。それがキッカケです。
–パラスポーツ放送の実現には、困難が伴ったかと思います。
当時は日本テレビに勤務していて、視聴率争いのど真ん中にいました。パラスポーツが視聴率競争で広告事業の収入に直接つながるとは誰も思いませんでしたし、しばらくノータッチでした。
–2005年にスカパー!へ転籍、車いすバスケットボールを中継し、パラリンピック2014年ソチ大会では専門チャンネルを立ち上げるなど、パラスポーツ放送を実現しました。どのようなことを考えて活動なされたのでしょうか?
有料放送は地上波の広告放送と違い、時間をかけてコンテンツを育てるということが出来るし、日本のスポーツ文化というものを成長させる、そういう役割というか力がある。
いつかスカパー!でやりたいと思っていたところに、2008年の北京オリンピック・パラリンピックが開催され、同時期に、東京都が2016年大会の候補地として手を挙げていました。もし大会が2016年に東京に来たら「このパラリンピックは誰が映像の制作をするのか?」と思うわけです。
その頃はスカパー!でサッカー中継をしていて、サッカーの映像がどうあるべきか、サイズがどうあるべきか、スイッチングがどうあるべきか、実況解説がどうあるべきか、そういうことを議論し、実践していました(※2007年から10年間、スカパー!はJ1とJ2の全試合を中継)。
それと同じように、パラスポーツ、パラリンピックの全競技22種目を理解して正しく伝え、さらに面白く伝える。それを2008年の段階で、8年後の2016年に東京に来たら、誰がやるのか?その時はまだOBS(注:Olympic Broadcasting Services=五輪の映像制作と権利を統括する組織)がパラまで全部やるという体制ではなく、北京のパラは、実際にはCCTV(China Central Television中国中央电视台)が全部やっていました。
だから僕は、もし東京に来たら、日本のスポーツ制作者、プロダクション、放送局が一体となって、パラリンピックの競技種目を制作する、そして世界に配信するんだろうなと思いました。
どんな競技があるのかも知らない大会ですから、2008年の今から準備しないと間に合わない。もし2016年に東京でパラリンピックが開催されたら、素晴らしい映像音声を世界に向けて出したい。そう思いました。
物腰柔らかく、しかし熱量が伝わる田中氏の取材時の様子
–パラスポーツの中でも、車いすバスケットボールと深く関わっていらっしゃいます。
パラリンピックの中継に向けて、準備をしようと。それで、手初めに車いすバスケットボールから着手したということです。
2008年北京の年の5月に行われた、日本車いすバスケットボール選手権大会、その準決勝と決勝の生中継から始めました。当時は、パラスポーツをスポーツとして捉えるという概念がなく、パラスポーツという言葉もなく、パラスポーツをスポーツ中継として捉えることもありませんでした。
長く、パラリンピックの期間中に、NHKさんが、1時間のハイライトを放送していました。素晴らしいと思っていましたが、基本的にそのスタンスは、障がいを負った人たちの物語とか、それを支えた人達や社会とか、いわゆる福祉という視点が色濃いものでした。
それをスポーツ中継としてストレートに扱おうとしたのが、2008年の車いすバスケットなんですね。
–それでも、福祉という視点から逃れることは難しかったかと思います。
初めて取材に行った現場では、ほとんどみんなが車いすに乗っていました。当たり前ですよね。取材に行った僕らは立っている。
僕らは、その空間ではマイノリティなんですけど、同じ目線でしゃがんで喋った方がいいのかとか、切断した足に目を向けちゃいけないんじゃないかとか、そういうことを気にしながら会話を進めました。
–中継の方針は、どのようなものだったのでしょうか?
最初は、本当にパラスポーツをスポーツ中継として放送できるのか?というところで迷うわけですよね。良きスポーツ中継というのは、点差とかタイム差とか戦略とか、いわゆるスポーツ競技がわかりやすく伝えられるというのが第一です。
そのための映像の見せ方、サイズ、スイッチング、あるいはコメンタリーが先ずあって、そうしたことを決して妨げることなく、出場する選手達の思いとか人間性とか、そういったプロフィールがバランスよく紹介されてくると、良い中継になるわけです。
ところが、パラスポーツ競技者の物語は、健常者の物語よりもちょっと重い。そのちょっと重い物語にフォーカスが当たり過ぎると、スポーツ中継ではなくドキュメンタリーになってしまう。
本当にスポーツ中継としてできるのか。
映像は普通に撮るしかないけれど、アナウンサーは何を言ってはいけないか、何を言うべきか。そこを考えた時、迷ったらその選手の障がいの物語には一言も触れなくていい、と思い切れた。
そこで、アナウンサーに対し、迷ったら一言も言わなくていいです、何にも障がいのこととか言わずに中継が終わっても構いませんと伝えました。
–その後、コメントの内容は変化したそうですね。選手の背景や生い立ちに関するコメントが増えていった。
最初の中継では、そうしたことを本当に一言も喋らず、試合が終わりヒーローインタビューが終わった後に、初めて選手がどういう人なのかに触れる、とても抑制の効いたいい中継でした。
でも、その3ヶ月後の北京パラリンピックでは、何にも気にもせずインプレー中に、「この選手は小学校の時にこういう障がいを負って……」みたいなことを喋れるようになった。それは普通のサッカー中継で「この選手は小学校の頃メッシのことを夢見て、おっと、シュート!」と普通に言えるように、「この選手は小学校の頃に交通事故に遭って足を失って、おっと、シュート!」と簡単に言えるようになったんです。
私たち伝える側の中に、勝手に私たちが壁を築いているんだということを痛感させられましたね。そして、それが平気になったのと同時に、車いすに乗っている人達に対して、立ったまま話そうがしゃがんで話そうが平気になったし、手を欠損している人に「その手は何で欠損したの?」と普通に聞けるようになったし、欠損した手を普通に握ることも出来るようになった。
僕ら側に、多くの障がいがあるんだということですよね(笑)。
テレビが、あるいはメディアが見せるということは凄い意味があること、言葉悪いですけど「晒す」凄く意味があると思いますね。
–見せることで、世の中の意識を変えて行く。
そういうことですね。昨年取材を受けて、言っていたことがあります。(昨年)パラリンピックを開催しなかったら、日本の共生社会は50年遅れる、と。
–共生社会の推進には、テレビの役割が大きいかと思います。
そもそも、スポーツとテレビは、恋人のような関係であって、互いに成長し合ってきました。
1953年に日本の地上波が始まりましたが、スポーツなかりせば、テレビはこんなに普及していません。スポーツも、テレビなかりせば、こんなに文化にはならなかった。プロ野球しかり、Jリーグしかり、互いに成長し合ってきている関係なのです。
それをパラスポーツに当てはめれば、テレビ側が、メディアが、パラスポーツを普及させ、パラスポーツ側もメディアを使って大きくなっていく。
その先に共生社会があり、そこにメディアの役割が明確にある。その中でも、テレビの役割は凄く大きいですよね。
第一回 箱根駅伝中継にて
–今回のパラリンピックの中継を、どのように捉えていらっしゃいますか?
テレビで言うと、NHKさんがほぼ全てでしたが、本当に素晴らしく頑張ったと思います。その役割と力を発揮したなと。
惜しむらくは、民放がもっと参加して、配信メディアも民間企業ももっと参加して、みんなで放送・配信する世界ができていたら、もっと素晴らしかったと思います。
東京パラリンピックを伝える側の責任と目標は何か?30年後の日本社会を変えることが目標なんだとなっていれば、アプローチとして、もう1つやらなきゃいけなかったと思う。ターゲットとなるのは、普段NHKを見ない10代20代の若い人たちです。
YouTubeにバンバン流すとか、とにかくガンガン配信するとか「東京パラ」というアプリをダウンロードしたら、そこでは何でも見られるようにするとか。
NHKと民放と企業も一緒になって、子供達とか若い人を一番インスパイアする放送配信、特に配信でどれだけわかりやすく興味深く伝えたかに尽きると思うんですけど、そういうことができていれば、もっと良かったなと。
–そうした協力、成功した先例は何かありますでしょうか?
ラグビーの2019年のワールドカップは、凄く上手くいったケースですよね。
民放の日本テレビ、NHK、有料のJスポーツ、そこに企業が参加していた。民放の日本テレビがやっているから、いろんな大企業さんが、あれだけ素敵なコマーシャルを流した。もう、コマーシャル見ただけで視聴者が胸熱くなるような、それがそれまで盛り上がらなかったラグビーを、あそこまで盛り上げたわけじゃないですか。
もちろん、ラグビーが本質的に持っている力が先ずあって、それをオーガナイズした人達も凄いんだけど、日テレ、NHK、Jスポーツの果たした役割も大きかった。
そんなようなことが、パラスポーツでもできていれば、もっと大きなインパクトと言いましょうか、インスピレーションを、特に10代20代の若手に与えることができたのではないかと思います。そこだけですね、残念なところは。
To Be Continued…(vol.2は2022/2/13(日)投稿予定)