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–共生社会の実現が叫ばれています。世の中の変化について、どの様に感じていますか?
だいぶ変化したんだと思いますけど、まだまだ車いすの方が普通に電車に乗りやすいかと言うと、全然乗りやすくないですよね。
自分の車両に車いすの人が乗ろうとしている時に、みなさん、どういう行動を取りますか?東京パラリンピックがあったので、もしかしたら30人いる周りの人の中で、5人は降りてきて「一緒に乗りましょう!」と言ってくれるようになってきたかもしれない。東京パラがなかったら、1人いたかいないかだと思います。
あるいは、白杖をついた人が電車を待っているとしましょう。「この人、ホームから落ちないよね」って思っているけれど、誰も何もしないっていうのが、東京パラの前。でも、東京パラがあって、もしかしたら3回に1回は「お手伝いしましょうか?」って声をかけられるようになっているんじゃないかな。
それが社会の成長だし、東京パラをやった意義だと思います。
–1964年の東京大会当時は、もっと障がい者に対する理解がなかったものと想像します
振り返ったら、1964年の東京パラは、参加した日本選手のほぼ全員が、病院や療養所から参加しました。それに対して、欧米の選手は、ほとんどみんな職を持つ社会人だった。
それに驚き、日本でも障がい者の方の社会参加が始まりました。それまでは、みんな隠れてなきゃいけなかったんですよね。
–それから57年後に2度目の東京パラリンピック開催となりました。選手たちの置かれた立場や環境は、どの程度改善されたのでしょう?
(変化が)一気に進むかといったら、そんなことはなくて、1998年の長野オリパラだって、オリンピックの団体の人達が、パラの選手団が同じ日本代表のユニフォームを着ることに反対したんです。
その時の言い分は、「オリンピック選手達はみんな血の出るような努力をして今日を迎えているんだ、なんで一緒なんだ」という理屈です。今そんなこと言う奴は1人もいないですが。
政治決着をして、同じユニフォームを着ていいことになりました。それがついこの前の長野パラなんです。
そしてまた時が流れて、ロンドンのオリンピック・パラリンピック、ついこの前の話ですよ、オリンピックの日本選手団が大変な活躍をしてメダルを一杯獲得して帰ってきて、銀座のパレードにもの凄い大勢の人が集まりましたが、それはパラの開会式の前です。
リオのオリパラはパラリンピックが終わってからオリンピックとパラリンピックのメダリストが共にパレードした。日本社会が学んだ。いいじゃないですか。
だけど、オリとパラの乗った車が違うバスで、着ていたユニフォームも、違うものでした。それがリオなんです。それも多分学んだはずなんです。スポーツサイドですら、そんな歩みなんです。
今ようやく、選手達同士、オリの選手とパラの選手とが交流するようになったり、一緒に番組に出たり「凄い」とか言い合ったりしています。そのようにして成長していくんです。実際に成長していっていると思います、とても。
–段階を踏んだ成長と発展に関して、スカパー時代、Jリーグの中継に際し「エリアのサポーターのために、クラブのために、Jリーグのために、日本サッカーのために、スカパーのために」という5つの段階を設定されていらっしゃいました。パラスポーツについては、誰に、どういったメッセージを伝えることが優先されると感じていらっしゃいますか?
30年後の日本社会を作る若い人や子供達に正しく情報を伝える、リテラシーを高める、そうした企画が必要です。かといって、何をどうするんだっていったら、普通にやるだけなんですけどね。だって、格好良く伝わることが子供達に一番伝わるんですから。
例えば冬のパラリンピックのアルペンスキーなどは、見た目で凄い格好いいわけで、伝わりますよね。だけど、同時に、視覚障がいのあるアルペンの選手の勇気とかを、どれだけちゃんと伝えられるか、といったことも必要になると思いますね。
子供達に「勇気、元気、希望」というものをどれだけ伝えられるか『少年ジャンプ』のコンセプトみたいですけどね(笑)。もしかしたら一緒かもしれない。
–そうしたことを伝えるためには、スポンサーの協力も欠かせないかと思います
日本車いすバスケットボール連盟としては、お世話になっているスポンサーさんに、車いすバスケットが目指している世界はこういう世界です、このようにして準備を進めていきます、とお示ししたいと考えています。
例えば新しいリーグ戦のプランもありますし、全国のクラブを拠点とした地域活動も重要な施策です。
従来と同じようなゼッケンスポンサーになってくださいとか、看板スポンサーになってください、だけではなくて、車いすバスケが目指すゴールに向けて「一緒に活動するパートナーになってください」というアプローチをしようと思っています。
–「懇願する」というスタンスとは異なるのですね
企業にとって、宣伝効果というスタンスから見たら、やっぱりパラスポーツではなくてオリンピックスポーツですよ、普通に宣伝効果と考えたら。
じゃあ、なんで企業はパラスポーツに協賛して応援してくれているのかというと、やはりその先のゴールを共有したいと思っているからです。そういう企業さん、たくさんいます。
だから、そういう企業さんに対して、望ましき社会を作るのを一緒にしませんか、そのための具体的なこういうアプローチをしていきますよ、だからそれを協賛してください、ではなくて「一緒にやってください」と。
–ところで、WOWOWでも、パラアスリートのドキュメンタリー番組『WHO I AM』を放送していますね(※国際パラリンピック委員会とWOWOWの共同プロジェクト)。
これまで、フォーラムをやったり、ノーバリアゲームズをやったりしてきましたけど『WHO I AM』プロジェクトの活動を一歩進めていこうと思っています。今まではWOWOWだけの活動だったんですけど、競技団体や地域や企業や地域社会、そういったところと、もっと広く連携した活動にしていきたいと思っています。
–今年5月、車いすバスケットボールのU23世界選手権が日本で開催されます(千葉)。アピールの場として期待されるかと思います。
そうですね。パラで銀メダルをとったというのは、凄く大きいと思います。
あれを見た人たちに、障がいがある人のスポーツだという意識は、完全になかったと思いますよね。普通にスポーツ競技として楽しんでもらえたと思います。
–健常者のバスケよりも面白いと言う人もいました。
そのことは、とても価値があります。東京パラの感動を、もう1回U23で作れたらいいですよね。
–パラが終わって自治体が前向きというお話でした。一方で、世の中のテレビ視聴者側からすると、リセットされているような部分もあると思います。
確かに、東京パラの盛り上がりがその状態で継続していくことは、最初からありえないですよね。かといって、リセットされているとは思いません。リセットされているわけではなくて、人々の記憶の中に、ちゃんと「セット」されている。
だから、人々の記憶を呼び覚まして、継続的にこの魅力が伝わって、継続的にパラスポーツへの理解と自分たちの社会への理解が広がっていく、そういう作業を、パラが終わった1年後は繰り返す。U23世界選手権で、パラリンピックの時と1番違って欲しいと思うのは、観客ですね。
パラでは残念ながら実現しなかった観戦を、特に小中学生をたくさん入れて、小中学生がアスリート達を間近に見るという大会がいいな。なんて言ったって、30年後ですからね、ゴールは。私のいない時だ(笑)。